TAMAKO 的 HOLIDAY !

GWはいかがお過ごしでしたか?
二三味珈琲
連休最後の日は、何と!石川のさいはての地「珠洲」までお出かけドライブでした。まあ、金沢から出かければ遠くて最果てのようですが、ぐるりと回って内浦に出ますんで、、、それに対岸とか、沖行く舟から見れば、「陸地が見えたぞ〜!」で、希望の道標でもあります。

目的は、「二三味珈琲」。
珠洲市出身の職場の同僚から、情報を教えてもらって、ちょこっと気持ちが動きました。最初は、珠洲市街地にある「二三味珈琲 cafe」へ直に着く予定でしたが、せっかくの好いお天気だしってことで、穴水→輪島→曽々木→(ここでまたもやルート変更で)→木の浦→狼煙→三崎→鉢が崎→飯田という海岸線に沿った最長距離を走ることになってしまいました。なので、もう。どこが最果てか?なんて分かりません!




曽々木も過ぎて、大谷という所に来た辺り、橋を渡ろうとして「!!」っとびっくりしたのは鯉幟。
「大谷の鯉のぼり祭り」だそうです。多分イベントは5月5日にあったのでしょうけれど、それでもけっこうな人が車を降りて、カメラを構えていました。




そして、木の浦海岸、映画「さいはてにて」のロケ地となった入り江へ降りて行きました。ここには、ロケ以前から「二三味珈琲 shop 船小屋」があって、珈琲の焙煎と販売をしているそうです。そのエピソードがちょっと映画のモデルにもなっているとか、、すみません、私まだ映画見てないんで、、






同僚の話では、もうここでは珈琲は飲めないかも、、だったのですが、大丈夫でした!紙コップのでしたけど、販売中でした。きりっとした苦みのあるコーヒーと、途中で買ったメロンパンを食べながら、目の前の静かな入り江を眺めます。ホントに静かで、静かでした。風がやさしく、、、観光の人たちもいましたけれど、、、こんな風景の中にいたら、病も少しは癒えるのかもしれません。




さて、ここからが大変なルートで、、、でも、最終(になってしまった)目的の飯田の「二三味珈琲 cafe 」には3時前には着きました。そこで、「二三味珈琲 船小屋ブレンド 」を買って、これまた、かなり長距離の帰路につきました。
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決戦!鳥越城


何年ぶりかで、鳥越城址を訪れたました。前回もこの季節だったかしら、、、変わってないなあ、、駐車場の近くの菖蒲池付近には藤の花が咲いていました。




今回が初めて!と言う弟は、本丸に向かう左手の空堀や、枡形門の石積みに興奮していましたが、奥さんの方も、最初はふんふんと言った具合で感心していたらしいのですが、「あ、もうワラビが終っちゃっている!コゴミだよねえ、、もうこんなになっちゃって、、、今年は山菜の季節が早いのかしら!!」と、山菜が育ちきってしまった姿に興奮してました。「土塁の構造より、山菜かよ〜」そ、主婦は逞しいです。




鳥越城は、加賀の一向一揆時代の終盤1570年頃に築城されたらしく、割とコンパクトな大きさです。小松方面と鶴来方面に対応した立地のようです。信長が攻めてくるとしたら、そっちからかも、、、だったのでしょうか。背後の白山方面は勝山ー白川ー飛騨が控えていて、、こっちは大丈夫だったのでしょうか??




かなり切り立った、堀切や空堀、、知らないで飛び込むと大変なことになりそうな仕掛けもあったでしょうね、籠城ゲリラ戦法なあんてね、、実際、本丸と後二の丸の間に切られた空堀には、ドキッとさせられます。ただ、この本丸側の急斜面、ワラビがとても好く育ちそうなんです。





復元されている枡形門、本丸門、中の丸門は全て木造で、いたってシンプルです。わたり100%!です、きっと。一向一揆という宗教集団の城として、ホントはどうだったんだろう、、と想像してみたくなります。巡らされている柵も木製で、この所々開いてる所が鉄砲狭間。うう〜ん、、どんな戦闘が繰り広げられたんだろう!!と、思いを戦国の空に馳せていたところで、「あ〜!!あんなところで山菜採ってる!」その鉄炮狭間を覗いていた弟の奥さんの声が、、、

確かに、下から攻めるのはかなり難しそうな城造りではありますが、山菜採りのためがむしゃらに斜面を登ってくるおばさん達を止めることは誰にも出来ないかもしれません。




石山合戦が、信長と顕如の手打ちで終了し、加賀一向一揆の本拠地金沢御堂が堕ちた後も、何度かの攻防が繰り返された鳥越の地でしたが、結局1582年に最後の抵抗勢力を磷付にして根絶やしにすることで信長方は勝利したとあります。

「進者往生極楽 退者无間地獄」の筵旗を掲げて戦った一向宗徒たち、、、でも、そっと戦場を後にした宗徒たちもいたはず、そっと、白峰を越えて、、、ね、と思えば、なんか救われる気持ちになるんですが。


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禁断の果樹園?
若葉に誘われて、梨の花を求めて小立野の奥へ。
もう、そろそろ終わりかな、、、と、諦めていたのが、
高校球児達の声の木霊に導かれて、もっともっと奥へ、細くなった道を進んで行くと、
白い花の樹々が垣間見えてきました。




さらに入って行くと、好い香り!
ミツバチがお尻を震わせながら飛び交い、、




「で、これは梨の花?」
「そうでしょ、、」
「リンゴってことはないわよね、、」

などとお喋りしながら、携帯でパシャリ!!

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桜の日



この一週間というもの、寒さのぶり返しや雨で、満開を迎えた桜もじっと耐えてた様子でした。「みんながお花見に出かけてくれるまで、満開の姿を愛でてくれるまで、散ってたまるか!!」と、、後ろから新緑の若葉が生えかかっていても、諦めずに、、、今年は桜の花の意地を感じました。




さて、ようやく暖かくなった週末!たくさんの人出に、花は惜しげ無く雨と散り、、、です。

週明けはどうなのかなあ、、、と、心配したのですが、夕方の珠洲に住んでる友達からの電話では、奥能登の桜はこれからが満開だそうです。さて、桜を追いかけて、北へ出かけるべきか、、、




金沢郊外の二俣の本泉寺の山門、ここの桜は何だか好きなんです。




山門をくぐって振返って眺める桜もステキ!です。
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椿原山砦あるいは椿原天神
近所にある美大近くの坂道を降りると、椿原天神があるのですが、この天神さんの由緒というのがちょっと凄い!




看板によると、

「椿原山砦跡」
一向一揆(1488〜1580)の大将、洲崎兵庫の屯営地で椿原山砦と云う。
古来天神町通りは、若松町、二俣町を経て富山県福光町に至る福光街道の宿場であり、この椿原山より若松方面を一望出来、現在も西方に石川門が直視される地形で尾山城の出城としての要衛であった。






で、この境内に「狼煙の松」というのがあって、
此処は昔椿原山と云い、一向一揆の大将洲崎兵庫の屯営地であって、現在も石川門が直視され、尾山御坊への合図の狼煙を上げた場所の松と伝わる。


下克上の時代、加賀の守護富樫政親を滅ぼして誕生したのが「百姓ノモチタルヨウナクニ」即ち「加賀の一向一揆」でした。何だか威勢があって、リベラルな、、とか錯覚を起こしそうですが、実際のところは(想像するに)内部や外部の権力闘争の明け暮れで、血で血を洗っていたようです。

もとは、衆生を救済し魂を導く平和な宗教のつもりだったのですが、、時代の波に飲み込まれて行っちゃったのでしょうか。まあ、波の去った後に、蓮如さんの蒔いた種が芽を出して、今日に至っています。ホントなら歴史的にも重要そうな「加賀の一向一揆」のはずですが、その内情のあまりなブラックさに、教育上にもよろしくないのか、この地元でさえもあまり教えられていません。

加賀と言えば「百万石!」が合言葉、、平和なことです。

と、いうわけで、加賀の一向一揆の所縁の場所というのは何やらありそうで、、、昼も暗いし、、、
そういう場所を天神さんにするとは!!よっぽど何か祟りがありそうなので、その鎮魂のためなのかしらん?

あ、いけない、いけない、そんなことを書くつもりはなかったのでした。



さて、看板には洲崎兵庫の屯営地とあるのですが、大小一揆が勃発し、若松本泉寺が攻められている時に、本泉寺側の大将として、ここに立てこもっていたということで、ずっとここを守っていたわけではないのです、、たぶん。
洲崎兵庫は、加賀一向一揆の中で何度も登場するお人なので、とても興味深いです。その話はまた、後の機会に。



それから、「狼煙の松」尾山御坊(後の金沢城)への合図とあるけれど、こんな目と鼻の先に狼煙なんかあげるでしょうかねえ???第一、今の金沢城公園の本丸砦跡から眺めれば、かなり遠くまで見渡せるのですが、、卯辰山辺りの狼煙ってのならまだ分かるけど。あ、でも、「狼煙の松」については否定しているわけではありません。





ここの狛犬さんは元気だ!!
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