TAMAKO 的 HOLIDAY !

GWはいかがお過ごしでしたか?
<< 金沢の奥 | main | 桜の日 >>

椿原山砦あるいは椿原天神
近所にある美大近くの坂道を降りると、椿原天神があるのですが、この天神さんの由緒というのがちょっと凄い!




看板によると、

「椿原山砦跡」
一向一揆(1488〜1580)の大将、洲崎兵庫の屯営地で椿原山砦と云う。
古来天神町通りは、若松町、二俣町を経て富山県福光町に至る福光街道の宿場であり、この椿原山より若松方面を一望出来、現在も西方に石川門が直視される地形で尾山城の出城としての要衛であった。






で、この境内に「狼煙の松」というのがあって、
此処は昔椿原山と云い、一向一揆の大将洲崎兵庫の屯営地であって、現在も石川門が直視され、尾山御坊への合図の狼煙を上げた場所の松と伝わる。


下克上の時代、加賀の守護富樫政親を滅ぼして誕生したのが「百姓ノモチタルヨウナクニ」即ち「加賀の一向一揆」でした。何だか威勢があって、リベラルな、、とか錯覚を起こしそうですが、実際のところは(想像するに)内部や外部の権力闘争の明け暮れで、血で血を洗っていたようです。

もとは、衆生を救済し魂を導く平和な宗教のつもりだったのですが、、時代の波に飲み込まれて行っちゃったのでしょうか。まあ、波の去った後に、蓮如さんの蒔いた種が芽を出して、今日に至っています。ホントなら歴史的にも重要そうな「加賀の一向一揆」のはずですが、その内情のあまりなブラックさに、教育上にもよろしくないのか、この地元でさえもあまり教えられていません。

加賀と言えば「百万石!」が合言葉、、平和なことです。

と、いうわけで、加賀の一向一揆の所縁の場所というのは何やらありそうで、、、昼も暗いし、、、
そういう場所を天神さんにするとは!!よっぽど何か祟りがありそうなので、その鎮魂のためなのかしらん?

あ、いけない、いけない、そんなことを書くつもりはなかったのでした。



さて、看板には洲崎兵庫の屯営地とあるのですが、大小一揆が勃発し、若松本泉寺が攻められている時に、本泉寺側の大将として、ここに立てこもっていたということで、ずっとここを守っていたわけではないのです、、たぶん。
洲崎兵庫は、加賀一向一揆の中で何度も登場するお人なので、とても興味深いです。その話はまた、後の機会に。



それから、「狼煙の松」尾山御坊(後の金沢城)への合図とあるけれど、こんな目と鼻の先に狼煙なんかあげるでしょうかねえ???第一、今の金沢城公園の本丸砦跡から眺めれば、かなり遠くまで見渡せるのですが、、卯辰山辺りの狼煙ってのならまだ分かるけど。あ、でも、「狼煙の松」については否定しているわけではありません。





ここの狛犬さんは元気だ!!
auther : Kazumi-I | 金沢散歩 | comments(0) | - |
コメント

コメントする