TAMAKO 的 HOLIDAY !

GWはいかがお過ごしでしたか?
JAYの曲で始まるテレビ中国語講座!
 ある夜中、テレビから聞き慣れたイントロが!“你說我選我選我〜” びっくりしましたよ〜〜、あの迷曲(?)「魔術先生」でしたから。タイトル映像と曲が楽しくマッチしていて、すんなりとノリよく番組に入っていけます。NHKもやるわね!でした。

 従来の中国語講座だと、いかにも中国の雄大さをアピールした曲使いがお約束でしたが、いや、それはそれで良いのですが、ちょっと何だか格調高すぎて、、、って、、、いや、JAYの曲が低いっていうわけじゃないんですよ〜、、やだな、もう、、、、

 中国語を学ぶ人、学びたい人もいろいろです。中国へ旅行がしたいから、中国の文化が好きだから、、、、そして、小さい頃中国で過ごした経験があるから、という人がいらっしゃいます。

 中国へ旅行がしたい、あるいは行って来た人は、現地の人とのコミュニケーションをもっと体験するため、また、中国文化が好き、あるいは興味があるという人は、やはりより深い理解を求めて中国語を学んだり学び始めたりしています。

 そして、幼い頃の中国での体験、、、多くの場合、日中戦争時代に旧満州で少年少女時代を過ごした経験のある、年齢的に70歳代の人たちも、中国語を学びに来られています。幾年も前に大陸で耳にした中国語を一つ一つ確かめるように、とても熱心に受講されています。そこでは、言葉は、人と人、あるいは文化と文化のコミュニケーションの手段というより、時空を超えた過去の世界との対話の手段なのです、きっと。また、ある人は言います。「もう昔の面影は無いに決まっているが、一度自分の生まれたという場所を訪ねたい!」と。

 戦争が終わって、大陸で育った人たちの多くは大変な辛い経験をしてこられたに違いないのですが、でも、中国は大切な故郷として心の中にそっとしまわれているのでしょう。戦争があったから、日本が世界中から糾弾される行為をした時代だったから、、、だからといって、その中をくぐり抜けて来た人生の大切な時間まで消されていいはずがありません。戦争は否定しても、お人生を否定する事はできません。

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「上海一九四三」
 が、台北の中学校の韻文の教科書の補助教材に!ん、、、と、つまり、詩や詞の教科(なんてあるのか?)の教材として取り上げられたと、いうことが、4月21日付の現地の新聞に載りました。おめでとうございます!

 「上海一九四三」は、もちろん、方文山の作詞でJAYが作曲と歌唱の曲です。ノスタルジックな用語と、完璧な踏韻が採用の決め手となったとか。私は、「豆板醤〜」のとこが好きです。そこしか、歌詞を聞き取れないからね。

  “姥姥當年醸的豆板醤〜”
 
  そっか〜、むかしは豆板醤も手作りで家庭の味があったんだ〜

 しかし、1943年の上海は、日中戦争の真っ最中で、中国にも6つの政府があったとか。
「香港」「上海租界」「満州国」「南京政府」「国民政府」「台湾」なのに、そんなことは一切触れずに、その雰囲気を充分に感じさせるラブソングです。どんな世の中でも、人は恋をする!

 “装満了明信片的鐵盒裡蔵著一片玖瑰花瓣”

 emotionalな言葉がなくても、感情が充分に伝わって来ます。

 詞が採用された件に対して、文山自身も「流行歌」が教育現場に使われる様になるなんて!と、とても喜んでいる様子でした。(中国語なのではっきりとはしませんが、たぶんこういうこと書いてる、と憶測です)

 上海に行くのも悪くないかな。

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レスリー
 4月1日、レスリーの6周忌、7回忌でした。ニュースを聞いた時は、「うっそ〜!」日が日だけに、、、でも、悲しい事実でした。現場だったホテルの前には、この命日も多くの花束が供えられたそうです。「飛び降り」という手段で、この世に別れを告げた彼、その内面は誰にも分からないままです。
 
 あの頃のアジアといえば、SARS騒動でパニック状態でした。昔見たAIDSを取り上げたビデオドラマ「And band is going on」(だったかな〜?タイトル憶えてないです)で、舞台監督を演じたリチャード・ギアの表情を思い出します。「Party is over‥‥」そう呟きながら、ビルの窓から通りを見つめるシーンでした。なぜか、そのシーンがレスリーと重なってしまいます。

 私は、特別にレスリーのファンだったわけでもないのですが、彼の演ずる虚無的なキャラクターには惹かれました。思えば、あれは演技じゃなかったんだ〜とさえ感じます。どうして、誰も彼を救えなかったのか?どうして彼は誰をも受入れなかったのか?

 私は、どちらかといえば、「チャイニーズゴーストストーリー」や「金玉満堂」「流星話」のレスリーが好きですが、やはり、危険なキャラクターには誘惑されてしまいます。「欲望の翼 阿飛小伝」の旭弟には、目眩がしました!あれだけ「ヤな奴」を演じながらも、抵抗できない魅力!
 その後、彼は香港芸能界を引退するのですが、2年後くらいにカムバック。香港返還へのカウントダウンとともに、香港映画界のテンションはアップし続け、アジア映画が世界の注目を集める様になり、そんな中でレスリーは多くの話題作、問題作に出演しました。陳凱歌の「覇王別妃」「風月」、王家衛の「東邪西毒」「ブエノスアイレス」、、、、ここでのキャラクターがレスリーを支配してしまったのかもしれないと思うのは、私だけかしら、、、
 きっとピーター・チャンやバリー・ウオンの映画ばかりに出演してたらあんな事にはならなかったかも〜!そりゃ、陳凱歌や王家衛のレスリー作品は偉い!と思いますけど。

 1999年だったか、東京国際フォーラムでのレスリーのコンサートを見ました。そ、レスリーは俳優である前に歌手だったのでした!映画「ブエノスアイレス」の撮影を途中で切り上げてのツアーだったはず。赤いハイヒールが話題になってました。あのステージで、多くのファンの握手に応えながらレスリーは何を思ってたのでしょうか?

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蘭亭序
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と、言ってもJIE王子のアルバム「魔杰座」の中に収録されている方文山作詞の中国風歌曲「蘭亭序」です。

“月下門推 心細如Ni脚歩砕”

 つまりは、ラブソングなんだけれど、こんな具合に古典的な言葉で語られると、つい引き込まれてしまいます。扉を開けて、そっと秘められた物語の中に忍び込むみたいな、、、、

“真跡絶 真心能給誰”

 王羲之の「蘭亭序」真筆こそは、唐の太宗が奥津城深く持って逝ってしまったという話で、現在私たちが目にすることのできる「蘭亭序」はその写本にすぎなくて、さすれば、本物の「蘭亭序」を求めるのは人情。

 幻の「蘭亭序」の真筆を 手の届かぬ女人 への思いに託して、、、いや、その逆かな?

“若花怨蝶 Ni会怨着誰”

 容姿や香りや微笑みよりも、人を迷わせ悩ませるのは、それが虚であれ実であれ佳人の溜め息や涙。

“無関風月 我提序等Ni回”

 曲のクライマックス、特に何度も繰り返される“無関風月”。 “風月”に託される意味は広いです。この歌の主人公は、とにかく、ず〜っと、いつまでも彼女を待っている、蘭亭序だから「帰りを」待っている。こんな解釈でいいのかしら。

“我等春雷 来提醒Ni愛誰”

 でも、実際のところ、どんな彼女なんだ?
 
“行雲流水”“月下門推”“牧笛横吹”“夕陽餘暉”“弾指歳月”“青石板街”“人雁南飛”“掬一把月”“縫繍花靴”“花怨蝶” 等等、漢詩や禅語に登場する言葉が散りばめてはいるけれど、これは、つまり、見て聴いて、私たちは神秘的な世界へと誘導されてしまってるんじゃないですか? だから、彼女は観念的な存在で〜、、、、これぞ、方文山風の時空を超えた愛の世界!

 彼自身は、「転生」を信じているわけじゃないけれど、「浪漫的」なのでこういう世界を描くのだ、というような事を著書に書いていました。でも、ロマンチックこそ、過去の歴史の世界と現在の私たちを繋ぐ架け橋ですから。

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