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2015.03.15 Sunday
小松方面へ
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仕事関係の研究会でサイエンスヒルズ小松へ行って来ました。
ユニークな建物で、サイエンス好きな家族連れで結構賑わってました。 ![]() こちらは裏口? 陽気も好かったので、ちょっと小松を探索。 ![]() 駅から末広球場方面に向かう途中の閑静な街中に「真宗大谷派足羽山本覚寺」がありました。 元は越前足羽郡にあった(建久元年1190年創建)のですが、一向一揆の時代、永正3年1506年に朝倉氏に破れ、加賀へ逃れて来たそうです。その後、大小一揆を経て加賀で勢力を持つことになりましたが、永禄10年1567年朝倉氏と和解し越前へ復帰できました。 しかし、加賀の本覚寺も残され、慶長9年1604年から現在地にあるそうです。 小松の今江小学校の裏手に城跡があったというのを思い出して、それらしい建物を目指して、車を走らせました。 ちょっと小高い丘に樹々の影が目に入りました。 ![]() 城山公園と呼ばれている城跡、小学校の運動場の隅っこから続く階段を登ることにしました。 ![]() ![]() いきなり頂上(?)らしい所にでました。「今江城跡」の石碑が立っていました。 どうやらここは、櫓台があった所らしいです。 ![]() 平地からちょっと上がっただけの所ですが、見晴らしは素晴らしいです。 周辺の住宅や建築がなかった時代、ずっと遠くまで見張らせたことでしょう。 今江城、またの名を御幸塚城は14世紀に冨樫高家によって築城されましたが、冨樫が居館を野々市に移し、一向一揆の時代は一時、富樫政親に対抗した冨樫泰高の居城となっていたらしいです。信長の進攻により、1580年頃佐久間盛政によって落城、1600年の関ヶ原の戦いの時には前田利長がここに布陣し西軍勢力と対峙したということです。 運動場で野球の練習をしているちびっ子達、彼らは、こんな歴史を習っているのかしら?? |
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